こんにちは、Yutaroです。
Unagiブログの「プロフィール」を見ていただければ僕のことは分かるのですが、初投稿ということもあるので、ここで「このブログがどんな感じになっていくか」と「もう少し詳しく僕の紹介」をさせてください。
僕は、(2021年7月30日現在)29歳オーストラリアのホテル学校の大学生で、ホスピタリティマネジメントについて勉強しています。2022年の6月に卒業し、ブリスベンのホテルでフロントデスクとして働いています。
生まれは東京都の池袋、育ちは埼玉県の大宮です。高校をなんとか卒業して、23歳までアリさんマークの引っ越し屋で休みなく毎日働いていました。
1人で初海外アメリカ横断の旅
周りのアルバイトが同学年の大学生ということと、その当時世界一周やワーホリが職場でプチブームになってたこともあり、僕も影響されて21歳の時にアメリカへのバックパッカーをしに行きました。
高校3年間英語が赤点だった僕に英語が喋れるはずもなくすぐにホームシックになり、スマートフォンを盗まれたことを言い訳に15日目ほどで帰国しましたね。
ここでの話はまたどこかで詳しく話したいと思いますが、この経験があったことで翌年にフィリピンのセブ島に留学に行くことになったんです。
帰国後、どうしても何かを達成したく車で日本を一周しました。
フィリピン留学
アメリカ横断から帰ってきた後は、引っ越し屋の仕事に戻り今まで通りの生活をしていました。
引っ越しの仕事が責任のあるポジションになりつつ大変な現場ばかりを任され辞めたかったことと、アメリア横断失敗の悔いが残っていたこともあり、オーストラリアへ1人旅に行く計画を立ててたんです。
オーストラリア旅行が2週間で50万のところ、フィリピンのセブ島留学なら、同じ金額で3ヶ月の滞在+英語留学ができるという広告を見つけ、留学を決めちゃいました。23歳の時に、3か月間の初海外留学を経験しました。
オーストラリア ワーキングホリデー
セブ留学を経て、海外志向になった僕はマカオにバンジージャンプをしに行ったり、1人で台湾に旅行に行ったりと行動力が増してましたね。
セブ島留学でできた友達からオーストラリアでインターンシップができる話を聞いて、すぐにエージェントに連絡をしました。翌年に、ワーキングホリデーでオーストラリア行きが決まりましたね。
シドニーの語学学校に通う
セブ留学をしたのですが、まだまだ英語が話せなかったので3ヶ月ほどシドニーの語学学校に通いました。
ここでは人生で初めて、朝から寝るまでずっと英語の勉強をしてましたね。英語はまだ全然話せなかったですが、ハミルトン島でのリゾートバイトをゲットすることができました。
ハミルトン島で働く
語学留学中に無事に仕事が決まった僕は、グレートバリアリーフで有名なハミルトン島に清掃スタッフとして住むことになりました。ワーホリのルール上6カ月以上同じ雇用元で働くことが許されていないので、6カ月間の契約です。
初めての島暮らしで不便なことはたくさんありましたが、個性豊かなオーストラリア人や日本人に囲まれ楽しい生活をしました。ハミルトン島には多くの日本人がいたのですが、僕の目的は英語上達だったのでオーストラリア人の友達をたくさん作って充実した日々を送っていました。
バンダバーグでファーム生活
ワーホリは1年で日本に帰る予定だったのですが、ファームに4か月ほど行けば2年目のビザ(セカンドビザ)が取れるということを聞き、ハミルトン島を5ヶ月で離れ、インターネットで見つけたストロベリーファームに向かいました。
ここには1週間しか滞在しなかったのですが、このファームは本当に酷かったです。インターネットも何もない環境に倉庫みたいなコンテナがたくさん並べてあり、そこに100人以上の韓国人と日本人が共同生活していました。その話は、下記の記事で読めます。
その後は、バンダバーグのトマトファームでバケットボーイズとして働き、セカンドビザを無事に取得しました。
パースのレストランで働く
ワーホリ2年目はエージェントに頼ることなく仕事を見つけたかったので、シドニーから遠く離れたパースに移動しました。
そこで見つけたマレーシア人経営のレストランで5カ月間ほど働きましたね。ここでは5カ月間という短期間で、日本円にして250万円ほど貯金しました。
ここでの生活は完璧な英語環境で、僕の英会話力が一気に伸びました。
ハミルトン島に戻る
パースに居た時にハミルトン島が忘れられず、友達に連絡し戻ることになりました。
仕事は前回と同じ清掃員でしたが、周りの環境がかなり変わっていましたね。以前は男性しかいなかったオフィスでしたが、僕が戻ってきたときは女性ばかりでハーレム状態でした(笑)
女性が多かったこともあり色々とトラブルに巻き込まれましたが、6カ月の任務を完了し日本に帰国いたしました。
セブ島で働く
ワーホリ中にオーストラリアの大学に行くと決めた僕は、大学に必要なIELTSの6.0を取るためにフィリピンの語学学校で働くことにしました。
元々は1年の予定でしたが、延長を何度もお願いされ1年と4カ月ほど滞在しました。ここで僕の英会話力は自分でもびっくりするくらい上達しましたね。本当に行って良かったと思います。
オーストラリアで大学生になる
日本に帰国後に受けたIELTSで何とか6.0をゲットし、2020年の1月から28歳でオーストラリアの大学生になりました。
学校に入学後すぐにコロナが始まり色々と大変でしたが何とか卒業までし、31歳になった今はブリスベンのホテルでフロントデスクとして働いています。
ブログの主な内容と目標
ここでの主なネタになります。
- 今までの経験に基づく、効率的な英語の勉強方法
- 個人の性格に合った英語学習法
- 上で挙げた以外にも東南アジアを回ったり、色々と旅行に行っているのでそこでの面白い体験談
- セブ島留学やワーホリ、オーストラリアでの学生生活に役立つアドバイス
- 今までの多国籍な友達や彼女等の話
- 趣味で筋トレもやっているので、たまに筋トレ
- オーストラリアで永住権を目指している人へアドバイス
- 後々はハワイのホテルマネージャーになることが目標なのでそこまでの道のり
ブログはセブ島の語学学校で業務の一環として書いていたくらいの経験はありますが、何の知識もないド素人です。見にくいと感じることも多いかもしれませんが、温かい目で見守ってくれたら嬉しいです。
僕は勉強が大の苦手で、語学学校に通っていた以外では自分から勉強をしたことがありません。このブログは英語学習法をメインで更新していきますが、英語系ブログでよくある「この英語はこういった意味があります!」的なモノを書こうとは思っていません。
僕が実際に経験し効果のあったやり方や、逆に効果のなかった勉強法などを実体験を踏まえて解説していきます!
今、オーストラリアのブリスベンのホテル受付で働くほどに成長できたのも、自分に合った学習法でここまで進めてこれたからだと実感しています。
このブログで目指すところは、少しでも多くの方にそんな「自分に合った英語学習法」を見つけてもらうことです。
海外経験の長い僕ですが、日本に居た時は部屋に籠って海外ドラマ『フレンズ』や洋画を観まくっていたら、TOEICの模擬テストで930点も取れていました。ただ単に映画や海外ドラマを楽しんだだけなのに、日本で1番実用性の高いTOEICで900点以上取れてしまうんです。
確かに2年間のオーストラリアでのワーホリ生活も大きく影響していますが、TOEICの勉強をしたことは人生で1度もありません。普通に日本でTOEICを毎日勉強しても900点の壁を超えるのは難関だと言われているのに、それを特に意識することなくクリアできたって凄くないですよね。僕の高校時代の英語の成績、3年間ずっと赤点ですよ。
僕もまだまだ英語学習者ですし、一生英語の学習を続けるかと思います。とりあえず、曖昧な目標ですが、英語ネイティブ並みの英語力を身につけることが今の目標です!ブログも初心者なので、英語学習と共に皆さんと一緒に成長できたらなと思っています。
また、ツイッターの方もこのブログ開設と並行して始めましたので、興味がある方はフォローお願いします。https://twitter.com/eigoaus_yutaro
Unagiブログ記念すべき初投稿ということで、僕に関するツマラナイ内容となりましたが、少しでも僕のことを知っていただけたら幸いです。これからよろしくお願いします!!!
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